サクサク(サゴ椰子澱粉)について

 
満川クリニック(アレルギー診療)所長
(元東部ニューギニア戦線・兵站台44中隊付軍医)
満川 元行
渋谷区恵比寿3-10-12-203
 普通にみられる椰子の木が、熱帯の海浜や山上の乾燥地帯に亭亭と育って椰子の実をならすのに対し、サゴ椰子は谷間や平地の湿地帯に太くずんぐりと育って、その大きな葉はニッパハウスの屋根や壁に欠かせないし、その太い幹はなかに澱粉を含んでいて、この澱粉こそ、米も小麦も雑穀もない東部ニューギニア原住民にとって、サクサクと称して欠かせない主食であった。  第2次大戦中、日本軍はニューギニアに侵略したが、やがて米豪連合軍に制空・制海権を奪取されて補給は途絶し、しょうわ19年8月以降、米も麦も調味料もない世界に陥り、主食はサクサク、副菜はジャングル野菜、調味料は海水から塩だけに頼らざるを得ない状況になった。  サクサクは、飯盒(又は鍋)の中で水に溶かして火にかけて熱しながらかき混ぜると葛湯状となり、冷たいとゼリー状に固まるので、ニューギニア原住民(今はパプアニューギニア国民)はこれを大きな木皿に注いで、中央に茹野菜を乗せ、箸は使わず手でちぎりつまみながら毎日の食事としていた。  1日2食主義で、1日に原粉6合程食べていたが、日本兵は1日5〜6合を3食に分けて食べていた。サクサク粉を練ってうどんを作り、だしのない野草の塩汁で食べるのが、当時の日本兵のせめてもの食べ物であった。その頃のサクサクはサゴ椰子原木を削って搾ったままであったので、色は淡紅褐色を呈していたが、今日輸入されるサクサクは爽雑穀を除いた純白色であるのに驚かされる。  いずれにしても、当時の日本軍が1年有半にわたる長期の飢餓をしのいだ唯一の主食であったことを銘記していただいて、今日ではアレルギー用食品として役に立つと思うので、色々の調理工夫を試みて主食の一つとしてご愛顧願えれば幸いである。
 
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